2013.6月号

読書会日時:2013年6月10日(月曜日)午後2時〜5時
読書会場所:ふくふくプラザ(福岡市市民福祉プラザ)604室

<特集>原発のない社会をめざして―九州からの発信

伊藤宏之  まえがき   
近藤恭典  脱原発運動における司法の活用─九州玄海訴訟の取り組み
高岡滋   「科学」とは何か?─原発事故・放射線による健康障害を考える
佐藤正典  原発が海の生物に及ぼす影響─日常運転にともなう問題
<研究ノート>
戸田 清  原爆・原潜・原発の歴史的関係と原発問題の常識を考える

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近藤恭典著「脱原発運動における司法の活用─九州玄海訴訟の取り組み」
 訴訟を行うことの意味を明解に示している好論文である.過去の原発訴訟のレビューと司法の限界について簡潔にまとめた後に,正しい国民要求は,法廷活動とともに,要求を国民全体に広げる活動がなされなければ実現はあり得ない,という実践的な教訓を引き出している.その上で,訴訟は,大規模な国民運動の一翼を担うものとして,また,運動の結節点として,あるいは運動を前進させる武器として位置づけるべきであるとしている.原発訴訟の役割・メリットとして,①原告の要求を明確にし,国民世論に訴える景気となる,②論点を明確にできる,③被告に一定の応答義務を課すことが出来る,などをあげている.「原発なくそう!九州玄海訴訟」において特に力点をおいていることは,①多数の原告によるたたかいを行うこと,②「原発による被害」を出発点に据えること,③国策転換をめざすために国をも被告としたことなどをあげ,全国に先駆け九州玄海訴訟をたたかっている現状を生き生きと語っている.いま,国内のすべての原発について,訴訟提訴または訴訟準備がなされているという.これらの原発訴訟が,脱原発運動の一翼を担い,運動の結節点として,運動を盛り上げていくことを期待したい. (報告:T.M.)

高岡滋著「『科学』とは何か?─原発事故・放射線による健康障害を考える」
 福島第一原発事故後において,放射線の健康影響について,本来の医学や公衆衛生学の手続きが無視されたまま議論されている現状を批判的に論じた好論文である.事故直後から,東日本各地で鼻出血,下痢,「鉄の味」などの症状が避難者から報告された.このような過去において少ない事例では,因果関係を直ちに否定するのではなく,「仮説」を保持しつつ機能法的思考で経過を見る必要がある.これらの症状を被曝の症状ではないと即断するのは行き過ぎである.放射性微粒子などによる局所高線量被曝によるものという仮説が提出されている.健康影響という因果関係を論じるときに,最も重要な分野は疫学であり,その疫学は後追いの営みであることから,予防原則が重視される必要があるとする.公衆衛生学や疫学も科学であり,科学とは「知の体系」を論理的に追求し,論理的な説明としての根拠を追求する営みであるとする.トンデル論文を「確固とした証拠にできるだろうか」と述べる坂東昌子氏には,疫学への理解不足があると断じている.その上で,科学と行政・政治は無関係ではなく,公衆衛生学は,人間の健康と命を守る一分野であり,原発への賛否は,本来,重要な公衆衛生学のテーマであるという.調査能力を持っているはずの行政は環境汚染と健康障害と隠蔽しようとする.したがって,その調査を行政に求めつつも,民間での調査が必須であると主張する.最後に,科学者が科学本来の意味と役割,諸科学の基盤や枠組みを自覚しなければ,その行為が進んで人倫に反する役割を推進する結果となりうると警告している. (報告:M.K.)

佐藤正典著「原発が海の生物に及ぼす影響─日常運転にともなう問題」
 原発による環境破壊・汚染は,事故の時だけとは限らず,日常的にも起きている.それらの問題のうち,①温排水による局所的温暖化,②プランクトンの死滅,③さらに,水素の放射性同位体であるトリチウムの問題について論じている.原発は,他の火力より熱効率が30~35%と低い分,局所的温暖化は火力より著しく海水を7℃ほど上昇させる.その温度上昇と配管内付着防止のための化学物質のためにプランクトンの多くが死滅する.半減期12年でベータ崩壊するトリチウムは,原発から日常的に放出される.その放出量は沸騰水型よりは玄海原発などの加圧水型で多いという.その結果,海水中のトリチウム濃度の世界的な平均値は1リットルあたり0.2~0.3ベクレルであるが,敦賀原発の近くの若狭湾では1リットルあたり1100ベクレルを2009年4月に記録しているという.また,玄海沖でも1988年8月に1リットルあたり41ベクレルを記録した.このようなトリチウムが,最終的にヒトにどのような形で影響を及ぼしているのかということは,未解明のわれわれ科学者に与えられた課題であると痛感する.(報告:Y.M.)

<研究ノート>戸田清著「原爆・原潜・原発の歴史的関係と原発問題の常識を考える」
 本論文は,特集の一部として依頼されたものであろうが,記述があまりに箇条的・断片的であるために研究ノートとして特集とは切り離されたものであるように思われる.それらの項目の中で知らないこともあり,有益ではある.取り上げる項目を絞り,それらについて掘り下げた記述をすればよいものになったであろうと残念である.例えば,原爆と原発のみでなく,原爆,原潜,原発の3つの関連を取り上げたことは,ある意味ユニークであり,この点を掘り下げた議論は大切であるように思う.「原子炉はプルトニウム原爆開発過程の副産物である」とあるが,これは事実であろうか.人類最初の原子炉であるシカゴ・パイル(CP-1)は,基礎科学的研究の積み重ねによりできたものであり,この経験が原爆のプルトニウム生産に役立ったことは間違いないであろうが,原子炉が「プルトニウム原爆開発過程の副産物」というのは言い過ぎではないか. (報告:T.Y.)
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