2012.8月号

読書会日時:8月13日(月)午後2時〜5時(ふくふくプラザ604室)

<特集>日米開戦70年 8月13日(月)

石原昌家論文「沖縄からみる日米開戦 ー 沖縄戦がもたらしたものは何か」
春名幹男論文「原爆投下と対日戦略の真相」
纐纈厚論文「日米戦争期日本の政治体制 ー 戦争指導体制の実際を中心にして」 
笠原十九司論文「日中戦争から日米開戦へ ー 日本海軍の『破滅のシナリオ』」 

特集以外

伊佐山芳郎論文「タバコ病訴訟と裁判官の責任」 
jjs2012.8

<読書会の記録>

以下は読書会で報告されたレジュメをもとに「日本の科学者」8月号の読書会の様子を編集したものです.

石原昌家論文「沖縄からみる日米開戦 ー 沖縄戦がもたらしたものは何か」 
「日米開戦」というより,「太平洋戦争末期の段階における沖縄からみた『沖縄戦』への突入と,戦後の日本政府と天皇の対応」という観点から論考している.戦争末期における日米開戦の本質と戦争責任論についての著者の至当な史観が展開されている.沖縄を盾にし,沖縄の住民に計り知れない犠牲を強いて『終戦』にいたり,戦後も長い間『半占領状態』におき,復帰後も今日に至るまで基地を集中させ沖縄県民に犠牲を強いてきた,その責任論や反省が十分になされていないことへの著者の憤りはもっともである.著者は,沖縄戦の米軍死傷者数の増加が原爆投下を決断した主要因であるという.それも1つの要因であろうが,他の多くの要因もあり決して単純なものではないであろう.また,著者は米国が沖縄を軍事占領し続けることを希望するという「天皇メッセージ」を糾弾している.確かにそのようなことを米極東司令部に伝えることはとんでもないことである.しかし,日本国憲法が発効して4ヵ月後のことであり,天皇が当時の政治を主導する立場にあったとは考え難く,責任の大部分は吉田政権から岸政権に至る戦後の保守政治勢力にあったのではないだろうか.(報告:K.C.)

春名幹男論文「原爆投下と対日戦略の真相」 
筆者は,米国がどのような戦略に基づいて広島・長崎に原爆を投下したのかを論じている.1944年9月19日,ルーズベルト米大統領は原爆を日本に投下することでチャーチル英首相と合意していた.また,ドイツに対して原爆を使用されたことはないという.これは何を意味するのか?今後,究明し考えていくべき課題のひとつであると思われる.著者は,「原爆を投下した最大の理由」として,原爆を使用しないまま戦争を終えた場合,原爆を開発した「マンハッタン計画」の責任者たちが議会でつるし上げられる可能性をあげているが,実際にその可能性はどれ程であるのであろうか.また,原爆製造に協力した科学者・技術者にナチス政権が先に原爆製造に成功したらという恐怖心があったとしても,ドイツの敗戦の後も協力し続けた彼らの動機や倫理観はどのようなものであったのか,また,どうすべきであったのか.ドイツ敗戦の後,原爆製造の「マンハッタン計画」から離れたのはジョセフ・ロートブラット博士ただ一人であったことを考えると,現代においてもとても大切な問題であるように思われる.(報告:T.Y.)

纐纈厚論文「日米戦争期日本の政治体制 ー 戦争指導体制の実際を中心にして」 
1940年9月30日,内閣の管轄下に設置された総力戦研究所は,1941年2月3日付で「皇国総力戦指導機関ニ関スル研究」を作成して,40部を関係方面に配布した.この「研究」は米国公文書館から国会図書館現代政治資料室に返還されたマイクロフィルムに所収されていたものである.この「研究」をもとに,一元化されるべき太平洋戦争期の日本の支配体制を論じている.「研究」は冷静で客観的な視点から陸海軍間と軍部・政府の間の調整の必要性を説いていた.しかし,軍部の特権制度である統帥権独立性のために,日米戦争期の支配体制は,多元化の中で混乱と矛盾をはらんで推移していた.(報告:M.K.)

笠原十九司論文「日中戦争から日米開戦へ ー 日本海軍の『破滅のシナリオ』」 
「海軍は陸軍に引きずられて日米開戦に突入した」という俗説を信じている人にとっては,本論文は必読の論文であろう.関東軍(陸軍)が1931年9月18日に瀋陽(奉天)郊外の柳条湖で鉄道を爆破して,それを中国人の仕業だとして「満州事変」を起こした謀略と同じように,海軍が「大山事件」をでっち上げて華中・華南へ戦線を拡大していった過程が,詳述されている.陸軍と海軍が互いに競り合いながら,日本を侵略と破壊へと導いていき,ついには真珠湾の奇襲攻撃(日米開戦)へと突き進んでいった.このように海軍も陸軍と同様にアジア太平洋戦争に重大な責任がある.しかし,海軍の首脳がなぜA級戦犯として裁かれなかったのか.昭和天皇の戦争責任とともに疑問点が多い.(報告:Y.M.)

伊佐山芳郎論文「タバコ病訴訟と裁判官の責任」 
ニコチンの依存症と,喫煙と肺がんとの因果関係の2点で争われたタバコ病訴訟において,結審直前に裁判長の更迭が行われ,新しく着任した裁判長は原告の訴えを棄却した.裁判長の突然の更迭はあまりにも不自然なものであったが,その裁判長が原告の主張に理解を示す言動が多くあったことが理由と考えられる.1973年からの原子炉設置許可取り消しを求めた伊方原発訴訟でも,同様な裁判長の交代があり原告敗訴に至る裁判があったことがS.M.氏から報告された.このような強引な手法で司法の判断を歪める実態に風穴を開けていくことが今後ますます重要になって行くことのように思われる.
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