2015.7月号

読書会日時:2015年7月13日(月曜日)午後2時〜5時
読書会場所:ふくふくプラザ(福岡市市民福祉プラザ)604室

<特集>「大学改革」の対抗軸は何か

松田 正久:国立大学の運営と大学の危機
折出 健二:新自由主義のポリティックスと大学自治の危機
佐久間英俊:日本の私立大学の危機的状況と解決の方向
中嶋 哲彦:大学・学問の現代的存在形態と大衆的高等教育の創造

<読書会の記録>

松田正久著「国立大学の運営と大学の危機」
 愛知教育大学学長を務めた著者は,坂田昌一氏の指摘に従い,現状をやむを得ないものとして「固定化」することなく,大学の実態を分析し,教育の主導権を広く社会や国民の手に取り戻すことが必要であるとする.さらに,大学改革の方向として国が強調する「ガバナンス」とは,学長権限の強化や教授会自治の形骸化であり,財界に都合の良い短絡的な方針に迎合する大学づくりの一環であると断定する.それに対抗して著者は,大学の本来持つべき機能として,「広く社会や国民の暮らしを改善するための大学」,「文化の創造や社会的批判機能を有する大学」,「長期的視野に立って未来の方向を指し示す羅針盤としての機能を持つ大学」などを対峙する.そのうえで,現状を批判的に論じ,「自発的隷従者」として振る舞う大学人が多くいることを指摘するとともに,文化の追究と新しい真理を求めて社会の発展に寄与する大学の役割という原点に立ち返る重要性を指摘する.
(報告:F.Y.)

折出健二著「新自由主義のポリティックスと大学自治の危機」
 日本は,この間,経済分野などで競争が展開する環境そのものを権力的にコントロールしようとする「環境介入権力」(佐藤嘉幸氏)として新自由主義的な統治を導入してきた.「自己選択と競争」をキーワードとする国公立大学の法人化は,そのような新自由主義の政策的現れである.そこにおいて,「自己選択と競争」の拡大は,主体的条件の差異により階層化と差別・選別を生む弱者再生産の仕組みとなっている.「研究とは何か」「大学はどうあればよいのか」を大学全体や学会あるいは市民的集会などさまざまなレベルで教員のみでなく学生や市民と語り合うことが,学問の自由を守っていくことになる.学問研究は,現在の真理や体制的理念を疑い,より高次の知見を得ようとする精神活動であり,本質的に体制超越的機能を営むものである.そして,ここに大学と社会の関係性の基本があると著者は主張する.これらの問題を含めて学問のあり方をオープンに議論することが必要であるだろう.
(報告:E.M.)

佐久間英俊著「日本の私立大学の危機的状況と解決の方向」
 国が支出する私学助成金の,経常経費に占める比率は,2014年度で10%となっており,1980年度の30%の三分の一となっている.私立大学の実態をリアルに示し,その危機的状況の発生原因は政府・文科省の失政であると手厳しい.日本政府は,2012年に高等教育の漸進的無償化(国際人権A条約13条2項C)の保留を撤回した.それを実現する計画を示し,結果を出すよう努力すべき.教育分野では,切磋琢磨はあってよいが,競争はふさわしくない.高等教育予算が低いのは位置づけが低いから.政府・文科省が進める一部優遇策では日本の高等教育は良くならない.多様な考えと個性を持つ構成員からなる大学では,民主的討議を経て改革を進めるのが近道,などなど重要な指摘をして問題解決の方向を提起している.私学問題だけでなく,高等教育全般の問題点を把握するためには必読の論文といってよい.
(報告:Y.M.)

中嶋哲彦著「大学・学問の現代的存在形態と大衆的高等教育の創造」
 著者は,かつて名古屋大学法学部に在学中,「公害法」という新しい講義科目の開設を求めて,その開設を実現した経験を持つ.この経験を,学生が個人的に公害法を学びたいということを超えて,大学は公害法についての研究・教育を行うべきとの社会的要請に応えるべきという要求であったと総括する.これは,大衆による大学づくり・学問創造であった.このようなことを著者は「大衆的高等教育の創造」と呼び,大学の社会的使命を果たす本道であるとする.著者は,全大学構成員で作り出す大学自治についても,卒業証書の裏面にも印刷されていた名古屋大学平和憲章(1987年)を例にして,それは法制上の意志決定手続きを経由することなく,大学構成員が自主的に作り上げた「公」の空間における正式な合意形成であったと認定している.名古屋大学平和憲章には「われわれは,いかなる理由であれ,戦争を目的とする学問研究と研究には従わない」とある.
(報告:T. M.)

<レビュー>菅野礼司著「科学の価値中立性について」
 「科学の価値」には,科学理論それ自体(科学知)の有する「理論的価値」と技術を通して社会生活に活用する「利用価値」とがあるが,「科学の価値中立性」否定論にはこの区別が明確でないと,著者は主張する.資本主義社会では,利潤追求に役立つ技術が評価され,とりわけコストが重視される.この意味で,技術は一般に価値中立ではない.しかし,それによって科学理論自体の本質的意義は変わらない.本論文のような,抽象的・一般的議論も大切ではあろう.しかし,例えば原発に関して,核物理学の諸理論やそれに基づく諸技術を材料にした具体的な議論が必要なのではないか.また,米国防総省高等研究計画局(DARPA)主催の災害対応ロボットのコンテストに東大をはじめ5チームが日本から参加した.この問題を,科学・技術の観点からどのように考えるかの議論は,大切な視点をわれわれに提示するのではないかと思う. 
(報告:T.Y.)
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