脱原発をめざす

「低線量被ばく=安全」論について

「低線量被ばく=安全」論について


2011.5.5


低線量の放射線被ばくは危険なものでなく,いまの福島第1原発事故によるさまざまな放射能汚染はそれほど心配しなくて良いといった言い方で,国民を意図的に安心させようとしている「科学者」たちがいます.この人たちの言うことは,まともで信頼できるのかを考えてみたいと思います.

現在,長崎における被ばく者ということを売りにして,さまざまなところで講演している山下俊一氏(長崎大教授)は,「100ミリシートベルトまで安全」と言っているようです.高田純氏(札幌医大教授)は改憲を目指す日本会議福岡の講演会(本年5月3日)で講演するほど右翼的な人物でありますが,低線量の放射線被ばくに関して「ある種の人たちが,わざと社会の不安を煽っていますが,全く問題ない」としています.また,近藤宗平氏(阪大名誉教授)は,「人は放射線になぜ弱いか———少しの放射線は心配無用」第3版(講談社ブルーバックス,1998)を出版するとともに「放射線は少し浴びたほうが健康によい」というような論文を掲載するサイト(2002年8月)を立ち上げています.これらの人がどのような立場からどのような意識で「低線量被ばく=安全」論を展開しているのか,私自身,詳しく知るところではありません.しかし,この「低線量被ばく=安全」論が,福島第1原発周辺住民の放射線被ばく被害を過小に見積もり東京電力(東電)の免責に一役買っているのなら,見過ごすことは出来ません.

ある意味では,彼らは自らの科学的信念に基づいているのかも知れません.しかし,彼らの「低線量被ばく=安全」論には異論もあり,学問的に認められ確立した考えではありません.放射線被ばく障害には,急性障害と晩発性障害があります.急性障害にはしきい値があり,そのしきい値以下の被ばくでは障害は現れません.一方,ガン発生などの晩発性障害にはしきい値は存在せず,どんなに低い線量でも,浴びた放射線量に比例してガン発生などの確率が増すというのが,現在,国際的に認められた考えです.そして,国際放射線防護委員会の1990年勧告において,1シーベルトの被ばくによりガンによる死亡の確率が5%だけ増加するという基準が設定され,この基準が2007年の勧告でも引き続き維持されています.もちろんこの基準自身は科学的事実ではありません.放射線被ばくからの防護という観点から,1つの基準を設定した.しかもより安全にという観点からの設定という意味合いもあります.

5月5日の朝日新聞のインタビュー記事で,原発事故に対する東電の責任を問われたのに対して「株主の資産が減ってしまう」のは困ると言った東電顧問がいました.被災者のことを心配するよりもまず株主の資産が気になるその彼が強調したのは,「低線量の放射線はむしろ健康にいいと主張する科学者もいる」ということでした.「低線量被ばく=安全」論が,現在,どのような役割を果たしているかを端的に示しています.自分の学問上の考えが,東電の責任を曖昧にし,原発周辺住民を苦しめることになるのであれば,これらの科学者は心が痛まないのでしょうか.

自分の学問上の考えに自信があるのであれば,その考えが国際的に認められるように努力すべきです.そして,認められていない現段階では,自説を述べると同時に現在は「浴びた放射線量に比例してガン発生などの確率が増す」という考えが国際的なスタンダードとして取られているということを述べるべきでしょう.そうでなければ科学的な態度とはいえません.自分の考えの学問上における位置が相対化できないようでは,その人の学問上の位置が二流以下と判断されても異論を唱えることは難しいと考えます.「低線量被ばく=安全」論を展開している「科学者」に科学的な態度に立ち返ることを期待したい.

チェルノブイリの原発事故において,放射能を恐がるあまり全ヨーロッパで10万人以上の母親が胎児をおろしたといいます.ヨーロッパ各国のチェルノブイリ放射能汚染による被ばくは2ミリシーベルト以下であったということです.10ミリシーベルト以下の被ばくでは胎児に奇形が出ることはないといいます.今回,このような堕胎が福島を中心に起こることは避けねばなりません.そのためには,やはり正しい放射能についての知識が必要です.しかし,それは「低線量被ばく=安全」論を展開していくことではありません.
(2011.5.5/ E.M.)

小佐古教授の涙

小佐古教授の涙


2011.5.4


内閣官房参与に任命されていた小佐古敏荘氏(東大教授)が,放射線基準をめぐる政府の対応を批判して辞表を提出した.その理由の主なものは,文科省が,原子力安全委員会の助言をふまえて,国際放射線防護委員会が非常事態収束後の参考レベルとしている1〜20ミリシーベルト/年を福島県の小中学校の校舎・校庭などの利用判断の暫定的目安としたことにある.その上で文科省は,20ミリシーベルト/年に到達する空間線量率は,屋外において3.8マイクロシーベルト/時であるとしている(注1).これでは小中学生に年間20ミリシーベルトの被ばくまでを我慢させるということになる.このことを小佐古氏は,「私のヒューマニズムからして受け入れがたい」という.原発労働者でも職業被ばくの年間限度20 ミリシーベルトの被ばくはまれであり,まして放射線被ばくに弱い小学生などに対して職業被ばくの年間限度で運用するのはとんでもなく,通常の線量限度1ミリシーベルト/年で運用すべきとしている.

これまで,福島第1原発事故に関連してテレビで「安全だ,安全だ」と言い続けてきた原発推進派の多くの東大教授は,いまでは完全に信用を失っている.テレビでは小佐古氏が思わず絶句され涙ぐんだ映像も流れ,東大にもこのような教授がいたのかという気持である.今回の小佐古氏の涙は新鮮に映った.小佐古氏についてはこれまでの経歴からして何かの裏があるのではという憶測がネット上で流れているが(注2),この涙を現時点における同氏の正義感から来る本物であると信じたい.

以前の放射能の恐さを考える(その2)の注2で述べたように,国際放射線防護委員会の2007年勧告では,非常時には,平常時と異なる管理基準を用いることとしているようである.非常時も,緊急事態期と非常事態収束後の復旧期を分けて,以下のような目安で防護対策を取ることとしている.

(1)平常時:年間1ミリシーベルト以下に抑える.
(2)緊急事態期:事故による被ばく量が20~100ミリシーベルトを超え
   ないようにする.
(3)非常事態収束後の復旧期:年間1~20ミリシーベルトを超えないよ
   うにする.

現在の時点の状況を非常時のうちの緊急事態期と捉えるのかそれとも非常事態収束後の復旧期と捉えるのかは,3月11日の事故以降において,放射能の放出が止まっていない現段階では判断に難しい点がある.緊急事態期というには事故発生時から時間が経っているし,また,非常事態収束後の復旧期というには,原発からの放射能の放出が止まっているわけではない.これらの中間的な時期といえるのではないか.

ここでは時期の特定問題は取り敢えず棚上げしよう.いずれにしろ文科省は,福島県の小中学校の校舎・校庭などの利用判断の暫定的目安として1〜20ミリシーベルト/年を取り,屋外における空間線量率として3.8マイクロシーベルト/時を目安としてあげた.3.8マイクロシーベルト/時という基準は,注1で述べているように年間被ばく線量20ミリシーベルトに相当する線量率である.今はこの目安が一人歩きしている.枝野官房長官は,5月1日,福島市や郡山市の学校が独自の判断で校庭の表面の土を削っていることに関連して「文科省の指針に基づけば除去する必要はない」と言ったという.これでは,放射線被ばくについて感受性の高い小学生に職業被ばくの年間限度20ミリシーベルトまで浴びさせてもよいということを表明したようなものである.

そもそも,職業被ばくの年間限度は,給料という利益が被ばくの代償として用意されているので,我慢する限界として設定されているものである.20ミリシーベルトの被ばくで0.1%のガンによる死亡確率の増加は,給料を貰うことで我慢しようということである.しかし,小学生や中学生には,どのような利益があるのか.被ばくの代償は何もない.それでも我慢しろというのは,あまりにも考えが足りないのではないか.小学生にはこれから70年余りの人生を生きていくことが想定されている.中年を越えた人々とは違った大きな可能性がある.こういう小学生に無益な放射線被ばくを出来るだけ低く抑える方策が必要である.小佐古氏の涙にはそのような想いがあったと思いたい.過去に原発を推進してきた人でも心に痛みを感ずるほど,小学生には過酷な暫定的目安ということである.

この暫定的目安に対して,原子力安全委員会は,5人の原子力安全委員(注3)のほかに2人の専門家の意見を聞き,全員が20ミリシーベルト/年を「適切」と判断したと記者会見で説明していたという.しかし,江川紹子氏のブログによれば,江川氏は「2人の専門家」のうちの一人である本間俊充氏(日本原子力研究開発機構安全研究センター研究主席・放射線防護学)に「私は『適切でない』と申し上げたんです」ということを1時間半にわたる電話でのインタヴューで聞き出している.この点で,文科省の暫定的目安20ミリシーベルト/年は問題があるといわなければならない.また,20ミリシーベルトの被ばくでどのような危険があるのかということを全く触れないのは,無責任であると言わねばならない.現在の国際的合意によれば,20ミリシーベルトを5万人が被ばくすれば50名がガンにより死亡すると算定される被ばく線量である.

(注1)3.8マイクロシーベルト/時の被ばくをそのまま1年間浴びると,3.8 x 24 x 365 ÷ 1000 = 33 ミリシーベルトの年間被ばく線量になるが,この線量は次のように想定した数字である.屋外に8時間いるとして,木造屋内(線量率を1.52マイクロシーベルト/時)に16時間いるとすると(3.8 x 8 + 1.52 x 16) x 365 ÷ 1000 = 20 ミリシーベルトになると試算している.
(注2)名古屋大学名誉教授の沢田昭二氏は,被爆者側証人としてDS86 の過小評価を意見書として提出し,被爆者側の勝利に貢献したが,小佐古氏は原爆放射線線量評価システムDS86の妥当性に固執して,原爆症認定訴訟の大阪地裁の国側の証人として原爆症認定に否定的な証言したという.小佐古氏が国側証人として出廷した裁判はすべて国側が敗れている.また同氏は,「原発震災」という言葉を提唱して浜岡原発は危険で廃炉にすべきとした石橋論文(『科学』1997年10月号)に対して,「国内の原発は防護対策がなされているので,多量な放射能の外部放出は全く起こり得ない」として石橋論文を酷評して,原発推進派の役割を発揮している.その意味で国策としての原子力推進の一翼を担ってきたことは否定しようがない.
(注3)5名の委員は,斑目春樹(委員長),久木田豊(委員長代理),久住静代,小山田修および代谷誠治の各氏である.
(2011.5.4/ E.M.)

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