脱原発をめざす

再び「低線量被ばく=安全」論について

再び「低線量被ばく=安全」論について

2011.6.28


前回の「低線量被ばく=安全」論についての小論に丸山氏から以下のようなコメントを頂きました.

以前に公開していた旧webサイトである方から,
「しきい値なし直線仮説」は,現在では,国際放射線影響学会、国際放射線医学会においてほぼ否定されており,低線量被ばくによるガン発症も否定されている.そして,そのことを示す資料として以下のウェブサイトを紹介してもらいました.
http://www.taishitsu.or.jp/genshiryoku/gen-1/1-ko-shizen-2.html

このウェブサイトの内容は,世界の高自然放射能地域の健康についての疫学調査報告です.この報告の中でもっとも詳しい中国における調査内容を要約すれば以下のようになります.広東省の陽江県は自然放射線量が平均で3.8ミリシーベルト/年と比較的高い地域です.この地域では,屋内線量率が屋外よりも高く,粘土で作られたレンガ中のトリウム232やウラン238などがその主な線源であるといいます.対照地域として生活環境が似ている隣の恩平県(放射線レベルは普通)を選び,疫学調査を行った.1979年から1998年における,陽江県と恩平県のガン死亡者の全死亡者に対する比率は9.6%(=855/8905)と9.8%(=347/3539)であり,差がないというのが調査の主な結果です.

この疫学調査から低線量被ばくによるガン発症や「しきい値なし直線仮説」を否定することが適切でしょうか.この点を検討してみたいと思います.日本などでは,ガン死の割合は約3割ですので,それに比較して広東省の両地域のガン死の割合は日本の1/3程度になっています.ガン死の割合は,高年齢になるほど増加しますので,この地域の平均寿命は日本の平均寿命に比べて有意に低いのでしょう.いずれにしろ,広東省の両県のガン死の割合は約1割です.この1割のガン死の原因はさまざまです.さまざまなストレス,普段からの体調管理,飲み物や食物の摂取法や調理法などの違いがガン発症に影響することでしょう.上の報告では「生活環境が似ている」ということで,これらの条件が同じであると仮定してはじめて,放射線レベルの高低による違いを検討することが出来ます.例えば,福岡県と熊本県は生活環境はそれほど違っているとはいえないでしょうが,辛子レンコンの消費量は格段に異なっているでしょう.その他,さまざまな食料品の消費量が異なれば,食品内に含まれる発がん性物質の取り込み量も異なってくることが考えられます.しかし,このような点についての検討がないのが気になります.

それでは,放射線被ばくによるガン発症について検討してみましょう.まず,ガン発症についてもしきい値がありそれ以下の被ばくではガンになることはないという「しきい値仮説」の立場をとると,上の疫学調査では,放射線以外のガン発症の要因が,両県で同程度であるということの検討が必要でしょう.その検討が「生活環境が似ている」というひと言で十分であるとはいえません.その点で,この疫学調査から「しきい値仮説」を支持する結論を得ることは困難でしょう.

次に,「しきい値なし直線仮説」から見てみましょう.もっとも一般に認められている国際放射線防護委員会(ICRP)の1シーベルトあたり0.05というガン死の割合を使って考えてみましょう(注1).この基準で3.8ミリシーベルト/年の被ばくの被ばくを受ける陽江県の人はガン死の割合が年で3.8 ÷ 1000 x 0.05 = 0.00019 だけ増加することになります.恩平県の平均自然放射線量がいくらかハッキリしませんが,仮に日本の平均と同じとして1.5ミリシーベルト/年(世界平均は2.4ミリシーベルト/年)で計算してみますと,そのガン死増加割合は年で1.5 ÷ 1000 x 0.05 = 0.000075.その差は約0.0001です.仮に40年間の積算で考えたとして,両県のガン死増加割合の差は0.004となり.他の要因によるガン死の割合0.1(約1割)に比べてオーダーが異なります.この差が上の疫学調査に現れる可能性は低いと考えてよいでしょう.

以上からはっきり言えることは,「しきい値仮説」も「しきい値なし直線仮説」もどちらも,中国における高自然放射線量を示す地域の疫学調査から支持あるいは否定する材料は得られないということです.

そもそも,放射線被ばくによる人の急性および晩発性障害についての大規模な調査・研究は広島・長崎の場合とチェルノブイリ原発事故における不幸な出来事しかありません.それ以外には,このような自然放射能に関する疫学調査などですが,これまで見たように,このような疫学調査により「しきい値仮説」と「しきい値なし直線仮説」のどちらかに決着することは困難です.現在は,低線量被ばくについては,「しきい値仮説」や「しきい値なし直線仮説」だけでなく少ない放射線ならかえって健康にいいという「ホルミシス効果」も存在ししており(注2),さまざまな説の白黒の決着がついていないというべきでしょう.

生体は非平衡開放系(注3)であり,生体内のさまざまな生体反応の物理化学的過程は複雑です.そのような意味で生体は複雑系であるといったりします.同じく非平衡開放系である地球も複雑系です.現在の地球温暖化の問題について,二酸化炭素主因説が仮説として有力になっていますが,この問題の科学的な決着がついているわけではありません.しかし,いま世界のほとんどの国の政府機関や民間の組織(米国や日本を別にして)が,二酸化炭素排出量を減らそうと努力しようとしているのは,より安全の側にスタンスを置いて将来の安全を考えようとしているからです.科学的に未解明の問題は,より安全の側にスタンスを置いて考える.これが基本です.低線量被ばくの問題も同様です.「しきい値仮説」,「しきい値なし直線仮説」,「ホルミシス効果」などさまざまな仮説がある中で,将来の安全を考えるなら,やはり,「しきい値なし直線仮説」をとり「放射線は可能な限り浴びない方が良い」を基本に置くべきでしょう.ICRPの1シーベルトあたり0.05という基準もこのような観点から設定されています.それが将来の安全を担保する唯一の方法です.低線量被ばくの問題の本質が解明されるのは,これから100年以上かかるものと思われます.低線量被ばくの問題の解明がそれほど困難であるのは,生体高分子の量子論的効果が深く関わっているからです.それに比べれば地球温暖化の問題は,もっと単純で20〜30年の内には解決されるだろうと思います.現在,開発中の「京」コンピュータで温暖化問題についての大きな進展があるかも知れません.

国際放射線影響学会、国際放射線医学会において「しきい値なし直線仮説」を否定し「しきい値仮説」に傾倒する研究者が多いといっても,その「しきい値仮説」を科学的に証明済みの事実と見ることはできません.その本質が,地球温暖化の問題以上に解明されていないからです.「低線量被ばく=安全」論は「しきい値仮説」に基づいています.このような「しきい値仮説」を振り回して,100ミリシーベルト以下の被ばくは安全だと言って,乳児,幼児,児童などの将来の安全をないがしろにすることは,決して許されることではありません.

(注1)この0.05/シーベルト・年というリスク係数は,1990年勧告によって、安全の側にスタンスをおいてそれまでのリスク係数を4倍に引き上げたものであり,これをそのまま疫学調査のリスク予測に使うことは適当でないと,ICRP2007の161項ではいっている.しかし,ここでこの計算を行うのは,この高めに設定されたリスク係数を用いても有意な差が得られないことを示すためである.
(注2)「ホルミシス仮説」は,コメントを頂いた丸山氏によれば,IAEA,国際放射線影響学会、国際放射線医学会などにおいては,現在否定的ということであるが,山岡聖典教授(岡山大)などはこの研究を精力的に行っており,この仮説を現時点で完全に無視することは適当ではないように思われる.
(注3)外界と物質やエネルギーを出し入れしながら,全体として定常性を維持している構造体のこと.地球や生物個体はその例である.
(2011.6.28/ E.M.)

玄海1号機容器 大丈夫か

さる6月9日の佐賀新聞「私の主張」欄に豊島氏(佐賀大学)の九州電力・玄海原発1号機の原子炉圧力容器に関する以下の原稿がほぼ原文どおり掲載されました.その原文をここに紹介します.

2011.6.13

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玄海1号機容器 大丈夫か


豊島耕一 久留米市


玄海原子力発電所の4つの原発のうち,1号機は運転開始からすでに35年以上経過しており,老朽化に伴う危険が心配である.その危険性のうち以前から指摘されているのが,原子炉容器が長いあいだ大量の中性子照射を受けて硬く脆くなることだ.金属の「中性子脆化」と言われる.

私は金属工学が専門ではないが,今回の福島第一原発の惨事の遠因は,原発問題を原子力工学などの専門家任せにしていたことにもあると思うので,巨大な危険を伴う技術では,専門外の人間も大いに関心を持ち,発言する必要があるだろう.そこでこの問題を少し調べてみた.

固体は高温では柔らかく粘りがあるが,低温では硬く割れやすくなる.板チョコを想像すればいい.夏は柔らかくて割りにくいが,冬はパチンと割れる.原子炉容器の鋼鉄も同じことで,粘りのある状態から割れやすい状態に性質が変わる“分かれ目の温度”を「脆性遷移温度」という.「温度」と言っても固体の性質を表す数字のことだ.

中性子照射を受け続けるとこの数字が徐々に上がる.つまり粘りを示す温度範囲がだんだん狭まり,さほど低くない温度でも割れやすくなる.しかも同時に,粘りを示す高温域での破壊強度も低下する.

この脆性遷移温度という数字が上がりすぎると,福島の事態のように原子炉を急冷するときに危険だ.もし容器がこの温度よりも冷やされると,原子炉容器が割れてしまうという大変な事態になるかも知れない.したがってこの数字を監視することが重要だ.そのため原子炉容器と同じ材質の切れ端(試験片)が原子炉内に入れてあり,定期的に取り出し破壊試験をしてこの脆性遷移温度を調べる.

ところが玄海1号機に関して,この数字の異常な上昇が明らかになった.2009年に取り出された試験片の数字が,予測値(70℃前後)よりも大幅に高い98℃という値を示したのである.

問題なのは,この数値がどの程度危険かについて第三者が詳しく調べようとしても,データの詳細が公表されていないことだ.この破壊試験の詳細も,また試験片の脆性遷移温度の数値から原子炉容器本体の脆性遷移温度を推定する方法の詳細も公表されていない.さらに,粘りを示す高温域での強度も不明だ.これでは「1号機の原子炉容器がいつのまにかセトモノになっていた」という悪夢にうなされるかも知れない.

原子力安全・保安院に,この脆性遷移温度という安全性に係わる重要な数字について,どこまで許容出来ると見ているかを電話で尋ねてみた.驚くことに「そのような数字は特に決まっていない」という返事だ.目安とする数字もなしに安全が担保出来るのだろうか?老朽原発の安全性についてこの機関が真剣に考えているのか疑わしい.

福島原発事故以来,放射能や放射線についての知識が一般人にとっての不可欠の常識となってしまった.同様に,老朽化した1号炉の周りに住む私たちが安全に生きるためには,その原子炉に核燃料がある限り,「脆性遷移温度」や金属の破壊についての知識が不可欠となっている.九電にはこの問題に関する情報の全面的な公開を求めたい.

(大学教員,63歳)

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