原子力規制世界最高水準という虚言の批判

レビュー「原子力規制世界最高水準という虚言の批判」
―世界一楽観的な進展シナリオに沿った,世界一奇妙な評価―

2014年12月4日
福岡核問題研究会

pdfファイル

1.「世界で最も厳しい水準の安全規制」かどうかは原発再稼働の前提条件にされた

 記憶している日本人はほとんどいないかもしれないが,福島第1原発事故が最重要議題となった国連の原子力安全に関する首脳会合(2011.9.22)において,野田佳彦首相(当時)は,「日本は,原子力発電所の安全性を世界最高水準に高める」と表明した.しかし,野田氏はその具体的内容は示さなった[1].
 原子力規制委員会の田中俊一委員長は2012年の会見で,原子力発電所の立地を決める際の判断基準となる「原子炉立地審査指針」[2]を50年ぶりに見直すことを明らかにした.来年(2013年)7月までに改定し,国際基準並みに厳しくし,建設済みの全原発にも適用するとされた[3].
 安倍首相は今年(2014年)1月24日の第186回国会の施政方針演説において「世界で最も厳しい水準の安全規制を満たさない限り,原発の再稼働はありません」と述べた[4].これは重要な所信表明である.
 安倍政権が4月閣議決定したエネルギー基本計画[5]で,原発再稼働を審査する原子力規制委員会の規制基準を「世界で最も厳しい水準」と明記したことについて,疑問視する指摘が出ている.政権が「世界一」の根拠を示せていないからだ.自民党内からも「世界最高はウソ.再稼働向けのリップサービス」(党幹部)との声が出るほどだ[6].
安倍首相は10月7日の参議院予算委員会で,原発の再稼働について「世界で最も厳しい基準」をもとに判断することを,1月24日の施政方針演説に続き,あらためて明言した[7].
 菅官房長官は9月12日に閣議のあとの記者会見で,「吉田氏の調書では,現場の緊迫感や政府対応など,さまざまなことが明らかになっている.そうしたものを踏まえて,政府の事故調査・検証委員会で報告書をまとめ,それに基づき世界で最も厳しいと言われる原発の規制基準を作った」と述べた[8].
 宮沢経産相は11月1日,就任後初めて東京電力福島第1原発を視察し「(福島では)本当に起こしてはいけない事故が起きたと思った.一方で川内原発は,世界最高水準の新規制基準に基づき,安全性が確認された上での再稼働に向けての話だ」と二つの原発の状況は違うとの認識を示した[9].
 九州電力の川内原発(鹿児島県)1,2号機の再稼働の前提となる新規制基準への適合性審査をめぐって,田中俊一原子力規制委員長が本年8月7日,衆院原子力問題調査特別委員会における斉藤鉄夫氏(公明党)への答弁で「全ての点について一点の曇りもなく世界最高だということは申し上げておりません.(川内原発は)世界最高レベルの水準にあります」と発言した [10].
 電気事業連合会は「2013年7月に原子力発電所の新しい規制基準が施行されました.各原子力発電所では,この新規制基準に適合するのはもとより,より多くの知見を取り入れながら,世界最高水準の安全性を目指して様々な対策に取り組んでいます」[11]と表明している.
 九州電力も「当社としては,原子力発電については,エネルギーセキュリティ面や地球温暖化対策面などで総合的に優れていること等から,安全・安心の確保を前提として,その重要性は変わらないと考えており,世界最高水準の安全性を目指し,原子力発電所の更なる信頼性向上と安全・安心の確保に取り組んでいきます」[12]と表明している.
 しかし,本年7月2日に開催された「原子力規制委員会記者会見」[13]においても,「世界最高」という判断の根拠について質疑が行われている.また,テレビ朝日・報道ステーション,2014年7月25日では映像を中心に「原発の“世界最高基準”驚きの現実・・・日本は遅れていた」という番組が放映されていた[14].
 「世界最高云々」は本当だろうか.どのような具体的かつ十分な根拠に基づいているのか,いないのか.具体的かつ十分な根拠に基づいていないとすれば,なぜ政府首脳部,原子力規制委員長と電力事業者は「世界最高云々」という意見・宣伝を頻繁に繰り返すのだろうか.
 世界第3位の経済大国の首相で,地球儀を俯瞰する視点でのトップ外交を推進するという首相が国会で複数回明言した「世界で最も厳しい水準の安全規制」かどうかを追及することは単なる揚げ足とりではなく,国内的だけではなく,国際的にも重要な問題であると考えるべきであろう.
 無論,たとえ過酷事故が起こらないとしても,原発が再稼働されると,高レベル放射性廃棄物を大量に増加させるという,未来世代への負の遺産を増加させるので,再稼働は許されるべきではない.また使用済燃料の危険性も福島第一原発事後に明らかになった.さらに,一時期,原発停止により停電が起こるという言明が虚言であることがその後の経過で全国民に明らかになったように,原発の再稼働の必要性も根拠薄弱であるが,これらも問題群は別に議論されるべき重要な課題である.
 本稿では,原発の再稼働の是非をめぐって,日本の原子力規制基準が「世界で最も厳しい水準の安全規制」であるという言明にどのような根拠があるのかないのか,関連する事実と先行する論考を紹介し,補完しながら,より広く,より深い検討を試みる.

2.我が国の新規制基準の基本的な問題点とその背景

 2013年6月に成立した「原子力規制委員会設置法(関連法案を含む)」は,原発輸出と原発再稼働を当然の前提として作られた法律であり,福島第一原発事故の原因究明や津波対策,過酷事故対策を何故とらなかったなどの解明を行わず,「運転制限を原則40年,最大20年延長可能」とするなど,老朽化原発の半永久的稼働を容認している.この背景には,原子力基本法の「原子力利用の目的」に「安全保障に資する」と加えられる等,日米同盟があり,核エネルギーの商業利用を通じた米国の世界支配体制に日本が組み込まれたことがある.われわれは,この日米原発利益共同体という財界中枢部の強固な政治的岩盤の上に立っての「原発輸出」「原発再稼働」問題であるということをみておく必要がある[15].
 新規制規準において,旧原子炉立地審査指針は削除された.それはなぜか.福島第一原発の敷地境界での2011年4月1日からの1年間の積算線量が,旧「原子炉立地審査指針」で示されていた年間積算線量の250ミリシーベルトの約4倍(最大956ミリシーベルト)に及んだことが判明した.過酷事故の際,それだけの線量を放出する原子炉は設置工事認可取り消しになる.この旧立地審査指針を新規制規準に取り込むと,バックフィット制度(最新の知技術や知見を反映させるように事業者に義務づける制度)により,事実上,全原発は新規も再稼働も許可されないことになる.そこで新規制規準においては原発敷地線量についての立地規制規準(旧原子炉立地審査基準)は削除された[15][16].
 我が国の新規制基準は,その出発点(=発端事象)の設定だけは厳しい.すなわち,「大破断LOCA(冷却水喪失事故,Loss-of-Coolant Accident)+SBO(全交流電源喪失,Station Blackout)+ECCS(緊急炉心冷却装置,Emergency Core Cooling System)喪失」という設定のことである.この設定だけに関しては「世界一の厳しさ」と誇示するだけのことはあるかもしれない.しかし,その設定に対する評価が極端に甘く,対策の有効性については著しく楽観的になっている.こうして,「世界一」の厳しい起因事象の設定に対して,世界一楽観的な進展シナリオに沿った,世界一奇妙な評価が行われている[17] [18] [19].
 福島第一原発事故の後,多くの国民の反発が根強くかつ継続していることが各種の世論調査で明らかになっているという状況において,日本の原子力利益共同体としては,原発輸出と原発再稼働を,規制規準適合の費用と時間はかけず,一般国民に納得させ,原発立地自治体の首長らに再稼働承認の口実を与えるため,新規制規準は世界最高または世界最高水準と思わせる大宣伝を繰り返す必要に迫られていると思われる.

3.我が国の規制基準の問題点の各論 ―独りよがりかガラパゴス化かー

3.1 深層防護思想の認識と実践における甘さとそれらの背景となる日本ブランド思い込み

 福島第一原発事故以前には,原発は「止める・冷やす・閉じ込める」という設計で,放射性物質は5重の壁(燃料ペレット,燃料被覆管,原子炉圧力容器,原子炉格納容器,原子炉建屋)に閉じ込める方針になっていた.福島第一原発事故により,いわゆる安全神話のキャッチコピーとしての「5重の壁」は一挙に突破されることが全国民に明らかになったにも拘わらず,依然として電力会社のホームページなどには掲載されている.「放射能を閉じ込める5重の壁が5重に機能するか」や,「どんなに安全対策を講じても放射能汚染の可能性は残る」などについて説得的な解説については[20]を参照されたい.規制当局の専門家は5層の深層防護をよく理解していたはずだが,事故防止策の一つに過ぎない「5重の壁」ばかり説明され,電力会社の中にもこれが「5層の防護」だと誤解していた人たちがいるようである.
 原子力規制委員会は原子力発電所の安全確保,防護策には,原発推進の国際機関である国際原子力機関(IAEA,International Atomic Energy Agency)の提唱する五層の深層防護(Defense in Depth)[21] [22] [23] [24]を取り入れているとしている.表1にIAEAの五層の深層防護の要点を示す.

表1 IAEAの五層の深層防護の各階層の目的と目的達成に不可欠な手段[21] [24] [25]
tab1
 ここでは,設計基準外としてのレベル4が,事故進展の防止だけではなく,シビアアクシデントの影響緩和策,そしてレベル5が放射性物質の放出による放射線影響の緩和をサイト外の緊急時対応まで規制対象としていることが重要なポイントである.
 原子力規制の国際的動向の理解への参考として,新設炉に対する欧州原子力規制協会(WENRA)[25]による深層防護レベルを表2に示す.IAEAの多層防護と同様に,レベル4が設計段階からの要求になり,その内容として,コアキャッチャーなどが想定される炉心溶融を緩和するための工学的安全施設,炉心溶融を伴う事故管理(シビアアクシデント)を規制対象としていることが注目される.

表2 欧州原子力規制協会による深層防護レベル[25]
tab2(翻訳[23]から関係する発電所状態の区分,被ばく上の結果を紙面の都合で省略)

 原子力規制委員会による新規制基準の要点は[26]に公表されている.しかし,石橋氏によれば[27],日本の新規制基準は国際原子力機関(IAEA)の深層防護の考え方5層のうち,3層までしか対応していない.
1)耐震安全性に関して,根底となる第一層が万全ではない.
2)新たに義務化された第4層のシビアアクシデント対策が非常に不十分
3)最終的に住民の生命・健康を守るために第5層が相対的に重要だが,新規制基準ははじめからこの部分を放棄している.
 石橋氏の「新たに義務化された第4層のシビアアクシデント対策が非常に不十分」という指摘では,後述のように,多重防護の第4層の内容である「シビアアクシデント発生の防止」と「シビアアクシデント発生した場合の影響の緩和」の両方ともか片方が不十分かなど,明示的に分けた評価はなされていないと思われる.新規制基準[26]においては,特に,その9ページに記述されている,新設されたシビアアクシデント対策のうち,「シビアアクシデント発生の防止」は規制対象にされているが,「シビアアクシデントが発生した場合の影響の緩和」は規制対象になっているとは考えられない.この指摘の正しさを裏付けるように,九州電力による「新しい規制基準で求められた主な対策」[28]においては,重大事故対策(過酷事故対策の意味)は新設されたとし,炉心溶融防止,格納容器破損防止,と素直に記されている.さらに,航空機衝突など特定重大事故等対処施設自体は5年間の猶予と記されているが,緊急時対策所については,免震重要棟と代替緊急時対策所が併記されている.事実は免震重要棟には5年間の猶予を与えられたことであろう.
 今年7月15日から8月15日まで実施されたパブリックコメント(以下パブコメ)で意見募集している九州電力川内原子力発電所1号炉及び2号炉の発電用原子炉設置変更許可申請書に関する審査書は,深層防護の何層までをカバーしているのか.深層防護の枠組みとこの審査書との関連が「Ⅰ はじめに」に明記されていない[29].
 原子力規制委が下した「新基準に適合」という評価は,国際原子力機関(IAEA)が原発事故防止のために多重防護安全策として求めた「5層の防御」のすべてに万全とはなっていないのだ.とくに第4層の過酷事故対策がまだ不十分,第5層の事故時に放射性物質が原発敷地外に漏れ出ないようにする防災対策,それに住民避難対策に至ってはもっと問題が多い.牧野氏は第4層の過酷事故対策の不十分さを指摘する[30].
 「これが高じて,原発事故の遠因となったのが,当初の想定以上の津波大予測が出ても,経営は問題を先送りし,結果的に原発稼働率維持を優先させて対策を講じなかったため,津波による全電源喪失に無防備となった.IAEAの「5層の防御」の第4層の過酷事故対策の遅れに帰する問題だ」
 牧野氏の「とくに第4層の過酷事故対策がまだ不十分」という指摘では,石橋氏の指摘と同様に,多重防護の第4層の内容である「シビアアクシデント発生の防止」と「シビアアクシデント発生した場合の影響の緩和」の両方ともか片方が不十分かなど,明示的に分けた評価はなされていないと思われる.
 また,IAEA安全基準の中の「原子力発電所の安全:設計(No. SSR-2/1)」[31]によると,主要な技術要件として「原子力発電所の設計は,深層防護を取り入れなければならない.」とあるだけでなく,「深層防護の階層は,実行可能な限り独立したものでなければならない.」とも述べられている.この「深層防護の各階層の独立性」という点でも日本の規制基準は重大な問題を抱えており,後に国際的な基本的設計思想からの逸脱について議論するように,それは各階層の防護思想が「人間」の能力を過信し頼り過ぎていることである.
 重大事故対策の要員が少な過ぎるとの問題提起もあるが,事故対策に「人間」の能力(認識・判断・操作)の行使が不可欠で,多くの対策で人間による機材の移動・作業が前提になっていることは大問題(欠陥)である.
 それは,自分たちの命や健康が損なわれる恐れの高い危険で特殊な状況において,(大地震が原因であれば立っているのも難しい状態で)確実でミスのない能力の行使を,長期間維持できることなど期待すべきでないからである.(特に,人間が滞在することすら危険な程に放射線量が高まった場合,人間に依拠する安全対策では放棄するか現場作業者に犠牲を強いる他ない).これは,特に意図的な破壊行為で原発の安全性が脅かされた場合に顕著に問題になるであろう.その理由は,暴力もしくは脅迫で現場作業者の能力が破壊ないし制限されて,多くの防護階層も同時に破壊ないし麻痺してしまうと考えられるからである.
 第1層~第4層は工学的防護装置・システムであり,第5層は社会的・環境的防護システムである.それぞれの防護システムは,その前段階の防護システムが破れることを前提として用意され,次の段階(外側)に行くほど,より一層強固なものになる,というのが深層防護の本来の考え方である.社会的・環境的防護システムは工学的防護システムが破れるものとして用意されるものである.工学者はややもすると,工学的安全性を絶対視し,そこでの安全性が想定の範囲で守れればそれでよしと考えがちである.残念ながら,行政担当者の多くはそれに同調して,それ以上のことには思考停止に陥ってしまっているように思われる[32].川内原発の再稼働に対する態度表明についての鹿児島県知事の記者会見もその実例のひとつと思われる.少なくとも原発所在地の自治体は,「社会的・環境的防護システムのストレステスト合格」を原発再稼働に対する自らの責任条件とするべきであり,これが福島第一原発事故に学ぶべき,今最も重要な教訓であろう[32].

防災(減災)対策の有効性について実証的規制が欠如
 IAEA安全基準の中の「原子力発電所の安全:設計(No. SSR-2/1)」[31]では「最後となる第5の防護階層の目的は,事故状態に起因して発生しうる放射性物質の放出による放射線の影響を緩和することである.これには,十分な装備を備えた緊急時管理センターの整備と,所内と所外の緊急事態の対応に対する緊急時計画と緊急時手順の整備が必要である」として避難計画の策定の必要性を説いているのを見れば,日本の原子力規制委員会の新規制基準がいかに杜撰であるかが明らかである.文献[31]は原子力規制委員会のホームページに掲載されているが,原発の規制基準における避難計画の策定の必要性が欠落していることの重大さを英語の原文でも,翻訳文でも,規制委員会の誰も認識していないことは驚くべき能力不足であると言わざるを得ない.避難計画の策定が規制基準の対象ではないから審査しないという理由は人間の世界だけの事柄であれば通用するかもしれない.しかし,ことは社会に甚大な影響を与える可能性のある原発事故への備えの適否である.避難計画の策定を規制基準の対象から除外したことは,結局,過酷事故が起こらないよう最大限努める(防災)だけで,過酷事故が起きた場合の対応(減災)は本気で考えていないことを裏付けているのではないか[33].
 原発再稼働を認める地方自治体は自治体長の責任として,病院・介護老人保健施設,幼稚園・保育所,小中学校を,最低でも30 km圏外(IAEAのガイドによるUPZ放射能雲防護区域30~50 km外)に移設する覚悟を持ち,実行すべきではないか[32].

3.2 欧州電力事業者要求仕様

 我が国の規制基準の遙か上を行く基準が2001年からヨーロッパで制定されていた.それは新設炉に適用される欧州電力事業者要求仕様(European Utility Requirements,略称EUR)[34], [35], [36], [19]である.本稿執筆時点ではこの基本資料を入手できないが,規制基準の国際的動向を熟知されていると思われる佐藤暁氏の論考[19]から過酷事故対策と防災対策に関連する内容を以下に紹介する.

過酷事故対策について:
(1) 原子炉容器(圧力容器):炉心損傷を防ぐための人的対応が事故後6時間不要であること
(2) 格納容器:格納容器の破損を防ぐための人的対応が事故後12時間不要であること
(3) フィルター・ベントについて,事故後24時間はフィルター・ベントが不要であること

防災対策について:
(a) 800m以遠に居住する住民の避難が事故から24時間後でも間に合うこと
(b) 3km以遠に居住する住民の避難が事故から4日後でも間に合うこと
(c) 800m以遠に居住する住民が事故の収束後,速やかに帰還可能であること
(d) 経済的影響を最小限にするための事故時に放出される放射能の制限:30テラベクレル(=30兆ベクレル).
 日本の新規制基準において,このような過酷事故対策は極めて不十分であり,防災対策は規制対象ですらない.

3.3 重要免震棟の設置に5年間の猶予を与えたことは歴史に対する冒涜

 耐震安全性については,根底となる第1層が万全でないことは石橋克彦氏の論文に詳細かつ説得的に論じられている[27]ので,参照されたい.
 2007年の中越沖地震が起きた際,柏崎刈羽原発はホットラインのある部屋のドアが地震で歪んでしまい,県庁と柏崎刈羽原発が直接連絡することができなくなったという.この教訓から新潟県は「免震重要棟」の建設を提言.福島第一原発の免震重要棟が完成したのは東日本大震災のわずか8か月前だった.泉田知事はその経験を踏まえて次のように話した.「もしあのとき,新潟県が求めなければ,福島に免震重要棟はなかったし,いま東京に人が住めていたかどうかも疑わしい」「私自身は,2007年の中越地震のときに問題だったところを直したことが,結果として,日本のためになったと確信している.問題があるところに口をつぐむのは歴史に対する冒涜ではないか」[33].
 これらの他にも,今回の原子力規制委員会の安全審査には,地震によって併発・誘発しうる様々な不都合なシナリオの除外・無視,設計地震加速度における入出力の非線形効果の認識と対策の欠如などの問題点がある[18].

3.4 火山学会・火山噴火予知連絡会の見解と矛盾する火山対策の恣意性

 内閣府の広域的な火山防災対策に係る検討会は「大規模火山災害対策への提言」を2013年5月16日に発表した[37].この提言は,鹿児島・桜島の大正噴火(1914年)を超えるような大規模,あるいはカルデラなどの巨大噴火への備えを初めて促した.自治体の地域防災計画では,大正噴火を超えるような規模の噴火がそもそも想定されていない.
 その翌6月,規制委員会は「火山噴火対策について原子力発電所の火山影響評価ガイド」を発表した[38].このガイドは「火山噴火が予知できる」という前提で作られていて,広域的な火山防災対策に係る検討会[37]の認識と全く異なっている.「火山の状況をモニタリング(監視)し,カルデラ噴火が予想されたら核燃料を移動させるというが,今後40年(原発の運転期間)以内に何が起きるか予知ができない,確率が低いかどうかというのは何も言えないから,判定できないということなら立地は不可能となるはずだし,念のためにモニタリングしてカルデラ噴火の予兆があったら核燃料棒を片付けるというが,何か異常があったとき,それがカルデラ噴火なのか,もっと小さい噴火なのか,ということは,現在の火山学では分からない」と座長を務めた藤井敏嗣会長(東京大名誉教授)は言う[39].
 川内原発審査において,電力事業者が提出した原子力発電所への火山影響評価について,その中で論文を引用された火山物理学者は「今現在手に入る学術文献をほとんど網羅している.その調査能力は凄いものであると感心する.しかし,読まれて分かるように多くの場合,特に破局的噴火に対する部分は,固有地名や論文などこそ異なるが,『・・・(略)・・・』(評価の部分)については同じ記述である」と述べている.これは川内原発審査にあたり,単一の電力事業者だけではなく,電気事業連およびその配下の電力中央研究所などの研究者からの支援もあったことを示唆している[40].
 この火山物理学者は次のように客観的な問題点を冷静に指摘している[38].
 「中小規模の火山活動であれば,被害は局部的に留まるが,過去の歴史で見ると日本全域が大きな災害を被る巨大噴火活動の発生も九州では充分考えられる.私たちは過去の地質学的な歴史だけで,そのような巨大噴火を経験していない.そのため,何をどうしたらよいのか全く未経験である」
 「このような超巨大な自然現象は,その発生頻度が場所・期間を限定すれば非常に低い.しかし,ひとたび発生すれば莫大な災害をもたらす.また,現象の発生日時・場所・規模を的確に予測することが,非常に困難であるため,不確定な課題に取り組まねばならないので,経済的な問題が生じる」
 この火山物理学者の指摘は科学的で客観的な見解であろう.この見方に基づいて判断すれば,電力事業者は「火山噴火の発生頻度が場所・期間を限定すれば非常に低い」ことのみにしがみついて,再稼働を前提にした甘い評価を下したと言わざるをえない.
 さらに,九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)への火山の噴火影響をめぐり,原子力規制委員会と日本火山学会の対立が深まっている.規制委の影響評価ガイドライン[38]がカルデラを含む巨大噴火の前兆把握が可能とする前提に立って作られているのに対し,日本火山学会の常識は「現在の知見では予知は困難」と食い違っているからだ.日本火山学会原子力問題対応委員会は11月2日に「巨大噴火の予測と監視に関する提言」を行い,原発再稼働に慎重な意見を発表した[41].これに対して,田中俊一規制委員長は同5日の記者会見において,「今頃,そんなことを言われても困る.火山学者は寝ないで火山を観測してもらいたい」などという仰天発言を行った[42].その際,記者のひとりから「火山学会が今さらそんなことをいうのは私にとって本意ではないというのは,少し言い過ぎなのではありませんか」[42]とたしなめられるなど,田中俊一規制委員長の品性は決して高いとは言い難い.
 内閣府の広域的な火山防災対策に係る検討会は「大規模火山災害対策への提言」[37]が先に発表され,その翌月,規制委員会は「火山噴火対策について原子力発電所の火山影響評価ガイド」が発表され,さらに1年以上も経過しているのだから,少なくとも田中俊一規制委員長は自らの不明を恥じるべきである.
 その後,火山噴火予知連絡会会長の藤井敏嗣会長(東京大名誉教授)からも火山噴火のリスクを軽視するべきではないという意見が出された.このように,規制委員会による川内原発審査書の判断に我が国の火山学会関係者が大きな疑問を突きつけている[43].火山噴火予知連絡会の藤井敏嗣会長(東京大名誉教授)は痛烈に批判する.「例えば阿蘇のカルデラ噴火の間隔は2万年,3万年,11万年などとばらばら.6万年大丈夫というのはとんでもない議論だ」[43].この見解は[40]の見解とも整合的である.
 第2節の基本的な問題点において記したように,火山学会,火山噴火予知連絡会も慎重意見または反対意見を公表せざるを得ないほど,火山噴火という発端事象の設定に対する評価も途端に甘く,対策の有効性については著しく楽観的になっている.
 「国や電力会社はカルデラ噴火のリスクがあり,科学的に安全だと言えないことを認めるべきだ.その上で,どうしても電力が必要で原発を動かしたいというなら,そう言うべきだ」と藤井敏嗣会長(東京大名誉教授)は強調している[43].安倍首相は火山学会も火山噴火予知連絡会の藤井敏嗣会長の学問的見解を知らないのであろうか,無視するのであろうか.

3.5 過酷事故対策設備に適用されるべき,国際的な基本的設計思想からの乖離

 新規制基準においては,発端事象が何であれ,すなわち,地震・津波・火山噴火など自然現象,内部事象,テロ攻撃,航空機墜落など,何であれ,過酷事故に進展する可能性はあることを前提にはしている.世界の原子力規制に詳しい原子力アナリストの佐藤暁氏によれば,過酷事故対策設備に適用されるべき,国際的な基本的設計思想は以下のとおりである[18][27]:
1)恒設があってこその仮設
2)アクティブ(動力依存)よりもパッシブ(無動力)設計
3)手動(判断に基づく人的操作)よりも自動
4)リアクティブ(起きたら考える)よりもプロアクティブ(先を見通す)
5)楽観的(精神論的)机上論ではなく実践主義(実証主義,現実主義)
 例えば,2)アクティブよりもパッシブ設計という基本設計思想が望ましいことについては,会見[13]のp.13におけるテレビ朝日タジツ記者が質問している.弦巻英市氏も東京電力の対策にはパッシブな注水手段がないと批判している[44].
 しかし,日本の原子力規制基準ではまず仮設でもよい,アクティブ(動力依存),手動(判断に基づく人的操作),リアクティブ(起きたら考える),楽観的(精神論的)机上論であり,非常に危うい[18][19][27].
 格納容器に対する水蒸気爆発対策が不十分であることも[45],水素爆発の評価と対策も不十分であることは当研究会も指摘した[46].さらに,MCCI(溶融燃料とコンクリート相互作用)[47]の対策も不備であることも指摘した[48].例えば以下のような問題点がある[19].
1) 溶融デブリの格納容器からの落下の形態
2) 大量に積層したデブリが効率的に冷却されるかどうか,再溶融に至らないか
3) 海水注入の場合,析出する塩分の寄与を考慮して,再熱が再溶融にならないか,
4) 溶融デブリの落下までに,原子炉圧力容器の下にプール水が用意できて,それが維持できるか.
 世界的に過酷事故評価からMCCIを排除しているところは例がない[18].この意味でも,我が国の楽観的な事故評価は国際的な実践と乖離している.また,フィルター・ベント設計におけるMCCIによる影響も無視されている[19] [47] [48].
 コアキャッチャーについての規制委員会の無知と誤認について以下述べる.
 IAEAの文献[49]の「重大事故に対する設計上の考慮」という項目の6.2節には,重大事故(過酷事故)に対する設計上の考慮の全般と格納構造物の構造挙動が記されている.ここで「計算コードは,容認された研究開発に基づく国際的に認められた知識の状態を反映していること(特に,現象のモデル化は議論の余地がないものであるべきである)」(p.71)と記されている.これは,九州電力が使用したMAAPコードが国際的には欠陥プログラムといわれており,原子力規制委員会が使用しているMELCORコードのほうが国際的にははるかに評価が高いが,MELCORコードを使用しない評価が審査書で認可されたことは,IAEAの要請[47]に沿っていないことを意味している.
 また,6.7節にはエアロゾルの沈着効果が考慮されるべきとも記されている.このことについては我々も指摘してきた[47], [48].さらに,溶融炉心とコンクリートの相互作用の影響を緩和するために,発電所の設計に取り入れる対策として,6.12節の小項目(e)に「溶融炉心物質及び炉心デブリを捕獲及び保持するための強化されたサンプ又はキャビティ(コアキャッチャー)」と明記され,同(f)に「溶融炉心物質及び炉心デブリとコンクリートとの間の相互作用に起因する不都合な影響を最小限にする種類のコンクリートを格納構造物の床にしようすること」と記されている.
 田中規制委員長は記者会見において「コアキャッチャーは既設炉には設置されていなくて,新設炉に要求されている」という認識を示した[13].しかし,チェルノブイリ4号機事故直後にコアキャッチャーの原型になる装置が緊急に建設された[32][50] [41].この装置はチェルノブイリ4号機事故直後には冷却板(cooling slab)と呼ばれていたが[32][50],現在のロシアでは溶融局所化装置(Melting Localizing Device, MLD)または溶融炉心捕獲器(core melt trap)と呼ばれている[52].このアイデアを提出したのは物理学者のLeonid Bolshovである[53].
 ヨーロッパでは,プール水で溶融デブリの崩落を受け止めようとする概念そのものに対して慎重である.これは,水蒸気爆発の懸念が完全には払拭できないためである.そのため,受動的な設計思想から1990年代中頃からコキャッチャーの設計が研究されてきた[48][19].コアキャッチャーについての記者会見などにおける対応[54]を見る限り,田中俊一規制委員長は知的誠実さに欠けると言わざるを得ない.
 その他,テロ対策の甘さ,複数ユニット間の事故連鎖への対策はあるかなど多くの問題に対して,日本の規制基準における甘い対応が指摘されている[19].

3.6 規制基準適合のための費用は欧州加圧水型原子炉規制対策の約6.5分の1以下

 規制基準適合のための費用はどれくらいであり,世界最高水準を裏付けるといえるのだろうか.このことについて牧野氏はつぎのように推定している[55]:
 「事故防止のための追加費用を見ると,いわゆる新規制基準に対応するための費用は経産省の見積りでは1.6兆円以上ですが,本当にこれだけですむのかどうかはわかりません.というのは,十分な安全対策がとられたとされるいわゆる第三世代炉の建設費は恐ろしく高いものになっているからです.フランスで現在建設中のフラマンヴィル原子力発電所は,EPR(欧州加圧水型原子炉)で165万kWの電気出力をもつ最新型ですが,建設費用が当初の35億ユーロから85億までふくらんでいます.また,フィンランドで建設中のオルキルオト原発もやはりEPRで,30億ユーロから66億までふくらんでいてどちらもまだ完成していません.安全対策費用がわずか1.6兆円,原発一基あたり300億円程度ですむということは,もちろん,ここで行われる安全対策がEPR(欧州加圧水型原子炉)でとられたような徹底的なものからはほど遠い,ということを意味しています.つまり,文書に書いてある「世界で最も厳しい水準の新規制基準」というのは,少なくともヨーロッパで現在建設中の最新式原発程度の安全水準を要求するものではないということです.もちろん,ヨーロッパでも旧式原発が相変わらず運転中であり,その中のもっとも危険なものに比べると安全,という程度の基準にはなっているのかもしれませんが,「世界で最も厳しい水準の新規制基準」という言葉から想像されるようなものではありません」[55]
 文献[55]で記されている,二つの原発の規制対策費用の平均は約40億ユーロで,1ユーロ約145円(2014年11月15日現在為替レート)で換算すると,約5800億円となる.それに比べると,現在焦点になっている九州電力の川内原発1,2号機[56],玄海原発3,4号機[57]の規制基準対策費用[58]は,九電発表の3千数百億円を仮に3500億円と仮定すると,1基あたり約870億円となる.ヨーロッパの規制基準適合のための費用の約6.5分の1で,日本の場合には再稼働のための,安価でアリバイ的な対策と見なさざるをえない.

4.まとめと若干の議論

4.1 まとめ

 本稿の主題に関連する先行の論考と報道がかなりなされていることに驚いたが,来年早々にも予想される原発再稼働の判断根拠が本当かどうかをめぐって国民的な議論がより一層必要であると考えられるので,本論考も時宜にかなった意義があると考える.
 本稿では,関連する先行の論考の論点を整理し,国際的な規制基準とも具体的に比較検討することにより,新規制基準は,その出発点(=発端事象)の設定だけは厳しいが,その設定に対する評価が極端に甘く,対策の有効性については著しく楽観的になっていること,こうして,「世界一」の厳しい起因事象の設定に対して,世界一楽観的な進展シナリオに沿った,世界一奇妙な評価が行われていることをより一歩明らかにできたのではないかと考える.
原子力規制委員会の主張とその評価を表3に,国際原子力機関(IAEA)の深層防護の考え方と日本の新規制基準の比較を表4に,欧州加圧水型原子炉(EPR)と日本の新規制基準の比較を表5に示す.
 留意すべきこととして,EPR水準の安全対策を備えたとしても,その有効性の実証は十分になされてはおらず,過酷事故による放射線災害のリスクがあることに変わりはない[60].

表3 原子力規制委員会の主張と評価
tab3BWR=沸騰水型原子炉,PWR=加圧水型原子炉.

表4 国際原子力機関(IAEA)の深層防護の考え方と日本の新規制基準の比較
tab4○要求あり,△要求はあるが極めて不十分,×要求なし

表5 欧州加圧水型原子炉(EPR)と日本の新規制基準の比較[26] [60]
tab5○要求あり,△要求はあるが極めて不十分,×要求なし.費用額の推定は本文参照.

4.2 福島第一原発事故の後,安全目標は後退したのか,前進したのか

 旧原子力安全委員会が原発の設置許可審査に関して定めた安全審査指針類[安全審査指針類]には立地指針[61],安全設計指針[62],安全評価指針[63],線量目標値指針[64]などの基本的な指針があった.このうち立地指針のみが新規制基準に取り入れられなかった[15].
 第1節において紹介した旧規準の中で,「原子炉立地審査基準」[61]における,1基本的考え方,1.2基本的目標b項には
 「更に,重大事故を超えるような技術的見地からは起るとは考えられない事故(以下「仮想事故」という.)(例えば,重大事故を想定する際には効果を期待した安全防護施設のうちのいくつかが動作しないと仮想し,それに相当する放射性物質の放散を仮想するもの)の発生を仮想しても,周辺の公衆に著しい放射線災害を与えないこと」
と記されている.「仮想事故」という概念は国際的には「過酷事故(シビアアクシデント)」と呼ばれる.ここには,制定当時の認識を反映して,「重大事故を超えるような技術的見地からは起るとは考えられない事故」の「発生を仮想しても,周辺の公衆に著しい放射線災害を与えないこと」はIAEAなどの深層防護の考え方の4層におけるシビアクシデントの影響緩和に相当すると解釈できるかもしれない.そして,文言通りに厳格に審査されていれば,シビアクシデントの影響緩和の技術的措置がない原子炉は運転できなかったはずである.
 しかし,実際にはどうであったか.国会事故調査委員会の第四回委員会において,原子力安全委員長(当時)の斑目春樹氏は「今まで発行してきた安全審査指針類に色々な意味で瑕疵(かし)があった」と断言した.また,「諸外国で色々と検討された時,わが国ではそこまでやらなくていいという説明にばかり時間をかけ,抵抗があってもやるんだという意思決定がなかなかできにくい」「官僚制度の限界と言いますか,担当者が二年ぐらいで代わっていく.大きい問題まで取り扱い出そうとすると,自分の任期の間に終わらない.そうすると,大きな問題に手を出さないで,いかに議論しなくてもいいかという説明ばかりやればいい」と.さらに,「安全確保の一義的責任は,あくまでも電力会社にある.電力会社は,国がどういう基準を示そうと,その基準をはるかに超える安全性を目指さないといけない.それなのに,それをしないで済む理由として安全委員会が作っている安全審査指針類が使われているとしたら,大変心外だと思いますし,これからは決してそうであってはならない」と述べた.そして,「官僚の動き方が悪いとか,事業者が悪いとおっしゃっておられるが,最もおかしい動き方をされてきたのは委員長ご自身なんじゃないですか」と追及されて,斑目氏は「ある程度は認めざるを得ませんが,(就任後)安全指針類について見直そうとしていた」と言い訳するのが精一杯だった.同事故調の石橋委員の「福島原発事故を目の当たりにしてどう評価されているか」の問いに斑目氏は「仮想事故とか言いながらも,実は非常に甘甘な評価をして,あまり出ないような,強引な計算をやっているところがございます」と衝撃的な発言を行った[65].
 原発再稼働の前提となる原子力規制委員会の新規制基準には,これまでの原発の審査に用いられた基本的な指針類の中で,万一の大きな事故に対しても周辺の住民に放射線障害を与えないことを求めている「立地審査指針」だけが取り入れられていない理由は既存の原発を存続させるためであると考えざるを得ない[15].
 以上の議論から,原子炉立地審査基準から新規制基準への変化について,特に,過酷事故対策について,文書の表現上は後退していると解釈できるかもしれない.しかし,福島第一原発事故前が,過酷事故対策は事業者の自主性に任されていたが,新規制基準[26]では規制対象にされるなど,原発という技術システムの本質的な危険性の一定程度の軽減措置が義務化されたことは,本稿でも議論しているように,決して世界最高水準からほど遠いとしても,前進していると見なしてもよいのではないか.なぜならば,技術システムの安全規制基準において要求される措置は技術的に実行可能かどうかが基本的である.仮に,実行可能性の度合いの検討なしに,文言上のみで厳しい基準を制定しても,過去の原発立地指針審査の実態がそうであったように,再び書類上の形式的審査になる恐れが強いからである.新規制規準の「抜け穴」をどのように考えるか,そして関連した運動の前進を図ることは,脱原発を目指す人々にとっても重要な理論的課題のひとつであり,文献[15]はそのための多くの題材と示唆に満ちていると思われる.

4.3 なぜ「世界最高」にこだわるか,その政治的意図と心理的背景

 今回の規制基準は既設炉への追加的措置の機能水準への規制であって(規制委員会資料に議論の記載あり),将来の新設炉にふさわしいより高度な規制基準は議論されていない[18].にもかかわらず,規制委員会自ら今回の規制基準が最高水準と誇大広告している.
 政治的意図が再稼働向けのリップサービスであることは明白である.しかし,それだけでは説明が困難くらい多数回の発言がなされている.
 このことを理解するヒントになるものとして心理学に「認知的不協和」の理論(theory of cognitive dissonance)[66]がある.この理論の枠組みは,以下の通りである.
・認知に不協和が存在すると,人間はその不協和を低減させるために,なんらかの圧力を起こす
・不協和を低減させる圧力の強度は,不協和の大きさに影響される
 この「認知的不協和」の理論を理解する上で,有名な喩えとして喫煙者の例がある.たいていの喫煙者は,喫煙が身体に悪いことを知っている.身体に悪いことを知って禁煙できれば不協和(不快感)は起きないが,タバコをやめられないために不協和が起こる.人間は矛盾する認知を持ち続けることは難しいので,この不協和をなんとか低減しようと試みる.結果,「タバコを吸うことでストレス解消になっている」「タバコを吸わなくても肺ガンになる人はいる」などの認知を持つに至る.“禁煙”という行動を新しく起こすことより,自分の認知を変更することの方が,必要なエネルギー量が小さくてすむからだ.
 このように人間は,自分の選択した道が“良いはずだ”と思いたいというメカニズムを持っている[認知的不協和].
この考え方を適用すれば,福島第一原発事故により,日本の原発が世界最高の安全ではないことが明白になったが,何としてもでも原発を再稼働させたいという思いが強く,世界最高の基準を作ったことにして,原発を再稼働してもいいのだと「自らを安心させている」とも解釈できそうである.

4.4 大きな嘘を語り,そしてそれを充分頻繁に繰り返すならば,人々はそれを最後には信じるだろうか?

 旧ナチス・ドイツの宣伝相ゲッペルス(実はゲッベルス)の言葉に「大きな嘘を語り,そしてそれを充分頻繁に繰り返すならば,人々はそれを最後には信じるだろう」[67]というのがある.
 福島第一原発事故以後,市民の認識は深化しているので,単純にゲッペルスがいう事態は実現しないと思いたい.しかし,認識の深まりは十分だろうか? 政府高官のひとりがある文脈で「ワイマール共和国の歴史に学ぶべし」と発言して批判され,本意ではなかったと弁明した.しかし,それは本当だろうか,政府首脳の深部では同種のもくろみが本当にないのであろうか?

文献

[1] 野田首相(当時)の国連演説.Address by H.E. Mr. Yoshihiko Noda, Prime Minister of Japan, at the United Nations High-Level Meeting on Nuclear Safety and Security,Thursday, September 22, 2011.
http://japan.kantei.go.jp/noda/statement/201109/22speech_e.html
[2] 原子力規制委員会 資料 「原子炉立地審査指針について」
https://www.nsr.go.jp/committee/yuushikisya/shin_anzenkijyun/data/0009_03.pdf
[3] 「原発立地の指針見直しへ 規制委,国際基準並み厳格化」日経新聞 2012年11月15日
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDF1400V_U2A111C1EE8000/
[4] 安倍首相,第186回国会の施政方針演説.2014年1月24日.
http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement2/20140124siseihousin.html
[5] エネルギー基本計画,2014年4月.特に,p.8, 22, 43.
http://www.enecho.meti.go.jp/category/others/basic_plan/pdf/140411.pdf
[6] 朝日新聞2014年4月26.
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11105052.html
[7] 安倍首相,参議院予算委員会,2014年10月7日(火) DAILY NOBORDER
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141007-00010003-noborder-pol
[8] 菅官房長官「原発事故教訓踏まえ再稼働を」2014年9月12日NHKニュース.
http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/20140912/1426_kyoukun.html
[9] 川内原発:「万全の備えで再稼働」宮沢経産相が強調.毎日新聞2014年11月01日
[10] 第186回国会 衆議院・原子力問題調査特別委員会 第9号(2014年8月7日(木曜日)).
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/026518620140807009.htm
[11] 電気事業連合会「世界最高水準の安全を目指す現場の力」2014年1月.
http://www.fepc.or.jp/library/pamphlet/pdf/genbanochikara.pdf
[12] 九州電力「原子力発電のハテナにお答えします」
http://www.kyuden.co.jp/notice_sendai3_faq_necessity.html
[13] 原子力規制委員会記者会見録, 2014年7月2日.
https://www.nsr.go.jp/kaiken/data/h26fy/20140702sokkiroku.pdf
[14] テレビ朝日・報道ステーション,2014年7月25日放送.
http://www.dailymotion.com/video/x225181_原発の-世界最高基準“驚きの現実”日本は遅れていた_news
紹介したブログ:
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3843.html
[15] 吉井英勝「新規制規準を斬るー『抜け穴』をどう読み解くかー」2014年2月15日.
http://www.geocities.jp/neryoshii/kenkoureji/sinkiseipdf.pdf
[16] 原子力規制委員会記者会見録.2012年11月14日.
https://www.nsr.go.jp/kaiken/data/20121114sokkiroku.pdf
[17] 佐藤 暁「原子力規制のグローバルな状況と日本,深層防護~How deep is deep enough?」2014年4月18日院内学習会における講演.
動画は
http://www.cnic.jp/movies/5817
講演資料は
http://www.cnic.jp/files/20140418mokkai_sato.pdf
[18] 佐藤 暁,(四国電力・伊方原発裁判における?)意見書,2014年6月18日.特に,pp.52-85.
http://www.ikata-tomeru.jp/wp-content/uploads/2012/01/satou157goushou.pdf
[19] 佐藤 暁「過酷事故のナイトメア・シナリオ」『科学』vol.84, nO.9(2014), 962.
[20] 加藤静吾氏(山形大学名誉教授)のホームページ「これでも原子力発電をつづけますか,原発は核兵器廃絶を妨げている」
http://kato.html.xdomain.jp/nuclearenergy/
[21] IAEA, INSAG-10「原子力安全における多重防護」1996年.
原文 
http://www-pub.iaea.org/MTCD/publications/PDF/Pub1013e_web.pdf
[22] IAEA, INSAG-12「原子力発電所における基本安全原則」1999年.
原文 
http://www-pub.iaea.org/MTCD/publications/PDF/P082_scr.pdf
[23] IAEA, NS-R-1「原子力発電所の基本設計」2000年.
原文 
http://www-pub.iaea.org/MTCD/publications/PDF/Pub1099_scr.pdf
[24] 山下正弘「IAEA基準の動向ー多重防護(5層)の考え方等」」2011年3月2日.
http://epcon.cocolog-nifty.com/blog/files/20120521gosou_jnes_siryo2-4.pdf
[25] 日本原子力学会・標準委員会,技術レポート「原子力安全の基本的考え方について 第Ⅰ編 別冊 深層防護の考え方」2014年5月.
http://www.aesj.or.jp/sc/s-list/tr005anx-2013_op.pdf
欧州原子力規制協会(WENRA,Western Europe Nuclear Regulator’s Association)
RHWG(Reactor Harmonization Working Group ), Safety Objections for Nuclear Power Reactors, December 2009.
http://www.wenra.org/media/filer_public/2012/11/05/rhwg_report_newnpp_dec2009.pdf
[26] 原子力規制委員会「実用発電用原子炉及び核燃料施設等に係る新規制基準について -概要-」2014年2月14日.
http://www.nsr.go.jp/activity/data/20140214.pdf
[27] 石橋克彦「原発規制基準は「世界で最も厳しい」の虚構」『科学』,2014年8月号(Vol.84, No.8), p.869.
[28] 九州電力「新しい規制基準で求められた主な対策」.2013年8月13日.
http://www.kyuden.co.jp/library/pdf/torikumi_nuclear/shinkiseikizyun_3_130813.pdf
[29] 弦巻英市, 川内原発パブコメ(3) 深層防護の第5層(避難計画,原子力防止計画など)の審査を行うべき.
http://hatake-eco-nuclear.blog.so-net.ne.jp/2014-08-07
[30] 牧野淳一郎27. パブコメ:新しい「エネルギー基本計画」策定に向けた御意見の募集について(2013/12/23~
http://jun-makino.sakura.ne.jp/articles/811/note028.html
[31]  IAEA,SSR-2/1 原子力発電所の安全:設計(Safety of Nuclear Power Plants: Design).特に, pp.6-8.
https://www.nsr.go.jp/archive/jnes/content/000123919.pdf
[32] R.F.モールド「目で見るチェルノブイリの真実」西村書店,1992年,2013年(新装版).特に,訳者まえがき,p.15, p.13, p.40, p.93, pp.131-134.
[33] 泉田裕彦・新潟県知事が会見「再稼働の話をすると福島事故の検証が後回しになってしまう」.2014年10月16日.
http://blogos.com/article/96623/
[34] European Utility Requirements for Nuclear Powr Plants
http://new.europeanutilityrequirements.org/Documentation/EURdocument.aspx
ftp://ftp.cordis.europa.eu/pub/fp5-euratom/docs/03-eur.pdf
[35] 2009安全性・信頼性・経済性を追求した 欧州向けAPWR(EU-APWR)
https://www.mhi.co.jp/technology/review/pdf/461/461017.pdf
[36] 松村健_格納容器のSA対策に係わる規制基準の国内外動向, 2011年9月20日.
http://www.aesj.or.jp/sc/comittees/gijiroku/etc/2012a_sc_session3_4.pdf
[37] 内閣府・広域的な火山防災対策に係る検討会「大規模火山災害対策への提言」2013年5月16日.
http://www.bousai.go.jp/kazan/kouikibousai/pdf/20130516_teigen.pdf
[38] 原子力規制委員会,原子力発電所の火山影響評価ガイド,2013年6月.
https://www.nsr.go.jp/nra/kettei/data/20130628_jitsuyoukazan.pdf
[39] 「ミスター火山学が批判を続ける理由」西日本新聞2014年11月10日.
http://qbiz.jp/article/50235/1/
[40] 須藤靖明「原発と火山」櫂歌書房,2014年.特に,6章,7章,おわりに.
[41] 日本火山学会原子力問題対応委員会「巨大噴火の予測と監視に関する提言」
2014年11月2日.
http://www.kazan.or.jp/doc/kazan2014/images/teigen.pdf
[42] 田中俊一原子力規制委員長,2014年11月5日記者会見議事録
http://www.nsr.go.jp/kaiken/data/h26fy/20141105sokkiroku.pdf
[43] 火山学会と規制委が対立 川内原発,噴火リスク軽視に不信感.
西日本新聞2014年11月09日
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/kagoshima/article/125932
[44] 弦巻英市「パッシブな注水手段がない東京電力の対策 水素ガスとベント」2014年11月23日.
http://hatake-eco-nuclear.blog.so-net.ne.jp/2014-11-23
[45] 福岡核問題研究会,川内原発審査書批判1
https://dl.dropboxusercontent.com/u/86331141/Shiryo/critica1.pdf
[46] 福岡核問題研究会,川内原発審査書批判2
https://dl.dropboxusercontent.com/u/86331141/Shiryo/critica2.pdf
[47] 岡本良治・中西正之・三好永作「炉心溶融物とコンクリートとの相互作用による水素爆発,CO 爆発の可能性」,『科学』84巻3号, p.355 (2014).
https://dl.dropboxusercontent.com/u/86331141/Shiryo/Kagaku_201403_Okamoto_etal.pdf
[48] 福岡核問題研究会,川内原発審査書批判3
https://dl.dropboxusercontent.com/u/86331141/Shiryo/critica3.pdf
[49] IAEA, N-S-G1.10 「原子力発電所の原子炉格納系の設計」 特に,pp.70-74.
日本語 
https://www.nsr.go.jp/archive/jnes/content/000126742.pdf
原文 
http://www-pub.iaea.org/MTCD/publications/PDF/Pub1189_web.pdf
[50] R.F.Mould, Chernobyl Record-The Definitive History of the Chernobyl Catasrotphe-,
Institute of Physics Publishing, 2000. pp.119-120.
http://www.amazon.co.jp/Chernobyl-Record-Definitive-History-Catastrophe/dp/075030670X/ref=sr_1_1?s=english-books&ie=UTF8&qid=1417426716&sr=1-1&keywords=Chernobyl+Record
[51] 弦巻英市「ロシアのコアキャッチャー,MLD:Melt Localizing Device 溶融局所化装置」2014年11月27日.
http://hatake-eco-nuclear.blog.so-net.ne.jp/2014-11-27
[52] 弦巻英市「コアキャッチャーcore-catcherは,1986年のチェルノブイリ事故の教訓」2014年11月26日.
http://hatake-eco-nuclear.blog.so-net.ne.jp/2014-11-26
[53] EVE CONANT, To Catch a Falling Core: Lessons of Chernobyl for Russian Nuclear Industry, 2012.9.18.
http://pulitzercenter.org/reporting/russia-nuclear-technology-reactors-chernobyl-energy-atomexpo
[54] 内閣委員会「日本の原発は『世界で最も厳しい基準』と言えるのか」,「放射性プルーム防護対策について」
http://www.taro-yamamoto.jp/national-diet/3816
[55] 牧野義司 2014.7.23, 川内原発再稼働前にもっとやることある「5層の防御」策で「安全の証明」が先決
http://kenja.jp/stimulus/?tar=258&P=1
[56] 九州電力株式会社「川内原子力発電所1,2号機に係る新規制基準への新規制基準への適合性確認のための申請について」 2013年7月8日
http://www.kyuden.co.jp/press_130708-1.html
[57] 九州電力株式会社「玄海原子力発電所3,4号機に係る新規制基準への適合性確認のための申請について」 2013年7月12日.
http://www.kyuden.co.jp/press_130712-1.html
[58] 九電「原発安全1000億円積み増し 玄海と川内」2014年4月18日,日本経済新聞電子版.
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDZ180EL_Y4A410C1TJ2000/
[59] ロイター通信2013年 04月 10日
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTJE93900720130410?pageNumber=1&virtualBrandChannel=0
[60] 原子力市民委員会「原発ゼロ社会への道」,2014年.P.160など.
http://www.ccnejapan.com/20140412_CCNE.pdf
[61] 旧原子力委員会「原子炉立地審査指針及びその適用に関する判断のめやすについて」1964年5月27日.一部改訂1998年3月27日.
http://www.nsr.go.jp/archive/nsc/shinsashishin/pdf/1/si001.pdf
[62] 旧原子力安全委員会「発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針」 1990年8月30日.
http://www.nsr.go.jp/archive/nsc/shinsashishin/pdf/1/si002.pdf
[63] 旧原子力安全委員会「発電用軽水型原子炉施設の安全評価に関する審査指針」
1990年8月30日.
http://www.nsr.go.jp/archive/nsc/shinsashishin/pdf/1/si008.pdf
[64] 旧原子力委員会「発電用軽水型原子炉施設周辺の線量目標値に関する指針」
1975年5月13日.
http://www.nsr.go.jp/archive/nsc/shinsashishin/pdf/1/si015.pdf
[65] 週間金曜日ニュース「原発を建てられるように『基準』を作っていた―原子力安全の最高責任者2人を国会事故調が追及!」,2012年6月13日
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?tag=%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%82%89%E7%AB%8B%E5%9C%B0%E5%AF%A9%E6%9F%BB%E6%8C%87%E9%87%9D
[66] 認知的不協和.心理学用語.
http://health.goo.ne.jp/mental/yougo/021.html
[67] 出典(ドイツ語オリジナル):pressemeldungWUSSTEN SIE, DASS…
http://www.news4press.com/WUSSTEN-SIE-DASS%E2%80%A6N_596850.html
※日本では「ゲッペルス」と表記・発音されることが多いが,正確には「ゲッベルス」(Paul Joseph Goebbels)である.

inserted by FC2 system