2018.6月号

『日本の科学者』読書会
読書会日時:2018年6月16日(月曜日)午後2時〜5時
読書会場所:ふくふくプラザ(福岡市市民福祉プラザ)604室

『日本の科学者』2018年6月号
<特集>歴史視点から日本の原子力発電を考える

<報告>

兵藤友博:原子力の社会的選択と安全性ー原子力法制の改編の歴史に問う

1954年3月に原子炉予算が国会通過となり原子力の平和利用が大義名分となった.1955年に成立した原子力基本法には,当時の学術界で議論された自主・民主・公開の3原則は反映されたが,原子炉の安全性については問題にならなかった(そのような問題自身があるとは誰も気付いていなかったということなのかも知れない).原発事故は起こり得ないものとして「安全神話」が埋め込まれていたという.1974年の原子力船「むつ」の放射線漏れ事故や原発事故を受けて,1978年の改正で第2条1項に「安全の確保」が追加され,新たに原子力安全委員会が設置された.2012年の改正で第2条2項に軍事的な意味も含む「安全保障」が追加された(論文中では,78年改正の続きで記載しているが,これは明らかにミスであろう).1957年に制定された原子炉等規制法では,「安全」という言葉は,第1条の「公共の安全」と第73条の「船舶安全法」の2つしかない.このように安全性の問題を軽視していたのは,原子炉技術を米国まかせにしていた結果であろう.2016年6月に原子力規制委員会が発表した「実用発電用原子炉に係る新基準の考え方」では「原発に関する一定のリスクは受忍すべき」との立場に立っている.しかし,原発の再稼働に当たっては,制御できなくなるリスクを持っていることを考えるべきと警告する. (報告:S.K.)

金森絵里:会計情報からみる福島第一原発事故への道ー歴史視点から日本の原子力発電を考える

原発事業の会計を,損害賠償コストとバックエンドコストの2つを取り上げ議論している.結論的に言えば,前者は部分的にしか参入されておらず,後者は過小評価である疑いがあるという.原発の発電コストは,発電費を発電量で割って得られる.発電量が大きくなれば安くなる.2002年に発覚した東電のトラブル隠しによって,発電量を故意に大きく見せかけていたことが明らかとなっている.原子力損害賠償で大きいのは,「1200億円超の損害での政府の援助」であるが,この「政府の援助」とは何かが曖昧なままである.この額は大きな過酷事故では膨大となる可能性がある.この部分は,原発の発電費には含まれていない.バックエンドコストは,①使用済燃料再処理コスト,②核廃棄物の最終処分コスト,③廃炉コストがある.これらのコストは,支出が遠い将来であり,誰も合理的観点から見積もることができない.そのため過小評価される危険性が極めて高い.実際に過小評価していたと疑われる理由を3点述べている. (報告:I.H.)

中瀬哲史:東電はなぜ原発を開始し進展させたのか?ー東電の経営行動と福島第一原発事故

東電は,1960年に大熊町と双葉町にまたがる旧陸軍航空基地とその周辺地域の用地買収を申し入れ,1962年9月には福島県での原発建設を宣言し,積極的に原子力開発を進めた.1962年から1973年上期までは,火力発電を主力とする東電の経営は安定的に推移した.しかし,オイルショック(1973年と1979年)は東電の経営を暗転させた.原発は,1970年代には応力腐食割れなどもあり利用率が上がらなかったが,電力ベストミックス体制を追求した.原子力とLNG火力をベース電源として位置付け,高い熱効率のコンバインドサイクル発電を開発した.また,東芝,日立のメーカーと協力して原発の改良標準化計画を進め,成果として福島第二原発と柏崎刈羽原発が開発された.しかし,そのために固定資産額が上昇し,総括原価方式による電力価格を引き上げることになった.家庭用電力市場でオール電化攻勢を仕掛けることで,消費電力を増加させた.この消費電力の増加により,2007年7月の中越沖地震で柏崎刈羽原発が被災し,同原発を停止させた際,残りの原発のフル活動が必要となり,そのため福島第一原発の津波用防波堤を作る余裕が持てなかったという.結論として,着実に脱原発を進め,循環型で地域再生につながる「環境統合型生産システム」構築が重要であるとしている. (報告:T.Y.)

山崎文徳:日本における原子力技術の導入と開発ー経済性と安全性の関係


1946年の米国の原子力法では,国家安全保障が最優先され,核分裂物質,原子炉と技術情報の国家独占が制定された.アイゼンハワーの”Atoms for Peace”演説のあと,1954年の原子力法では,原子炉の民間所有と技術情報の自由化,国際協力を認め,原子力の商業利用に道を開いた.米国は他国に原子炉を提供する代わりに,ウラン濃縮と再処理を制限し,原子力技術を米国依存にさせる仕組みを作り原発ビジネスを推進した.日本では,1974年に電力三法を成立させ,原子炉建設を促進した.しかし,圧力容器の大型化による経済性を追求する一方で,シビアアクシデントにおける安全上のリスクを増大させることになった.1970年代では,配管のひび割れが発見されるたびに運転停止が余儀なくされ,原発の設備利用率が極めて低かった.1990年代後半には技術の向上もあって設備利用率は70%以上になった.しかし,東電で2002年に多くの配管の損傷を隠蔽していたことが発覚した後,次々に同様の隠蔽した事実が明らかとなった.高い設備利用率を維持するために安全性に関わる重大な問題が放置されていたことになる.1975年に米国で出されたラスムッセン報告では,原発事故による死亡者と財産被害は小さく,発生頻度は隕石が落下して死者が出る程度とされた.このような原発のリスクの過小評価は日本でも受け継がれた.原発は,根本的な安全対策が確立されていない技術であり,実用化の段階に達していない技術であると結論している. (報告:E.M.)

<レビュー論文>藤川誠二:高浜1,2号機,美浜3号機の運転期間延長認可取消訴訟について
―老朽原発の裁判の現状と課題

運転開始から40年を超える老朽原発の運転期間延長許可等の取り消しを求める全国初の行政訴訟についての報告である.対象原発は,高浜原発1号機,同2号機,美浜原発3号機である.運転差し止めとは異なり,運転期間延長の法的根拠となる認可の取り消しを求めているため,認可が取り消された場合には原発を運転する法的根拠を失うので廃炉とならざるを得ない.その意味で本裁判は廃炉を求める裁判であるという.運転期間延長の審査をクリアするには多額の安全対策工事が必要であるため,小規模の原発(敦賀1号,美浜1・2号,島根1号,玄海1号,伊方1号)では廃炉となっている.大型炉である大飯1・2号は補強や耐震化のコスト増加から採算が取れないとの判断から関西電力は廃炉を決めたという.裁判の争点は,圧力容器の中性子照射脆化や耐震安全性など多数あるが,重要論点に絞ることが必要という.40年を超える老朽原発が今後生じるので,本裁判の審理・判断は今後の原発裁判の重要な先例になる. (報告:Y.M.)
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